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東京高等裁判所 昭和61年(ネ)786号 判決

控訴人

有限会社小岩自動車鈑金

右代表者代表取締役

平野トキヱ

被控訴人

東京都

右代表者知事

鈴木俊一

右指定代理人

梅澤洋三

外三名

主文

原判決を取り消す。

本件を東京地方裁判所に差し戻す。

事実

一  控訴人は、「原判決を取り消す。被控訴人は控訴人に対し三〇〇万円及びこれに対する昭和五七年五月二一日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は一、二審とも被控訴人の負担とする。」旨の判決並びに仮執行の宣言を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

二  控訴人の請求原因

1  控訴人主張の事実関係は、原判決事実摘示中「請求原因」欄の1ないし4及び同5の一、二行目(原判決二丁表七行目から同三丁表七行目まで)のとおりであるから、これを引用する。

2  右事実関係に基づく控訴人の無形損害は三〇〇万円に相当する。

3  そもそも、警察は個人財産の保護にも任じ(警察法二条一項)、警察官は個人財産を保護する職務をも遂行すべきものであり(警察官職務執行法一条一項)、司法警察員は告訴を受けたときは速やかにこれに対応すべきである(刑事訴訟法二四二条)ところ、犯罪の被害者が、公正な捜査機関による厳正な捜査活動を期待し、加害者に対する刑事処罰を望んで告訴に及ぶ利益は、私的刑罰が禁止されている近代国家の下においては、特に保護されるべきであるから、犯罪捜査機関が告訴を受けながら、時効完成に至らせるほどに捜査をけ怠するなどということは明白に違法というべきである。

4  よつて、控訴人は、被控訴人(公共団体)の公権力の行使に当たる警視庁小岩警察署警察官がその職務を行うについて故意又は過失によつて違法に控訴人に加えた前記損害の賠償請求として、被控訴人に対し、三〇〇万円及びこれに対する右警察官の前記違法行為の後である昭和五七年五月二一日以降完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(なお、原審における控訴人の本訴請求は、当審における訴えの一部取下げにより、右摘示の限度に減縮された。)

三  被控訴人の認否

1  引用に係る原判決事実摘示中「請求原因」欄の1の事実は知らない。

2  同2の事実は認める。ただし、控訴人が主張に係る告訴において被告訴人としたのは訴外甲野太郎ほか一名である。

3  同3のうち、小岩警察署長が控訴人の告訴に係る事件を東京地方検察庁検察官に送付(控訴人主張の「送致」ではない。)したこと、同事件につき被告訴人らは時効完成により不起訴処分とされたことはいずれも認めるが、その余の事実は否認する。

4  同4、5(一、二行目)のうち、因果関係についての主張は争い、控訴人につき生じた事実については知らない。

5  控訴人のその余の主張はすべて争う。

四  証拠関係〈省略〉

理由

一控訴人が、昭和五四年六月二〇日、警視庁小岩警察署(以下「小岩署」という。)長に対し、訴外甲野太郎ほか一名の者を、罪名を詐欺罪として告訴したこと、同署長が、右告訴に係る事件(以下「本件告訴事件」という。)を東京地方検察庁検察官に送致したこと(「送付」か否かは別論とする。)、同事件につき被告訴人らが時効完成により不起訴処分とされたこと、以上の各事実は、いずれも当事者間に争いがない。

二ところで、控訴人は、本件告訴事件は控訴人が八〇〇〇万円に及ぶ被害を被つたものであるのに、小岩署警察官は同事件の捜査を漫然と放置したため、同事件の被告訴人(被疑者)らは時効完成により不起訴となり、これにより控訴人は被告訴人らの刑事責任を追及する道を閉ざされ、損害(三〇〇万円相当のいわゆる無形損害)を被つた旨を主張し、小岩署警察官の属する公共団体たる被控訴人に対し損害賠償を求めるものであるが、これに対し原判決は、警察官による犯罪の捜査は社会の秩序維持という公益のためにされるのであつて、犯罪捜査の結果、被害者の被害感情がいやされることがあつたとしても、それは事実上の利益にすぎない等の理由の下に、警察官の犯罪捜査にけ怠があり、そのために加害者が刑事上の処罰を免れることがあつたからといつて、直ちに当該事件の被害者の私法上の権利の侵害を招来するものと解することはできないとし、控訴人の本訴請求を主張自体失当として棄却した。

三しかしながら、およそ警察は、個人の生命、身体及び財産の保護に任じ、犯罪の予防、鎮圧及び捜査等に当たることをもつてその責務とするものであり(警察法二条一項参照)、警察官は、上官の指揮監督を受けて警察の事務を執行するものである(同法六三条参照)から、警察官には、警察の前記責務を達成するための各種の権限が法令により与えられている(警察官職務執行法参照)。そして、犯罪により害を被つたとする者から告訴がされた場合に、警察官が、告訴に係る犯罪の種類、性質、規模、態様等諸般の状況に即応して右権限を適切に行使し、個人法益をも保護するために当該事案につき、適切に捜査に着手する等必要な措置を講ずべきことは、法令の定める職務上の義務であると解するのが相当である(犯罪捜査の時期、方法、態様等は犯罪捜査機関の大幅な裁量に委ねられていることはもとよりである。)。しかるに、犯罪により害を被つた者から告訴があつたにもかかわらず、担当の警察官が、故意又は過失によつて、何ら合理的理由なしに違法に、右権限を行使せず、職務上の義務を怠つて必要な措置を講じないまま、漫然と不当に期間を徒過し、その結果、罪を犯した被告訴人(被疑者)が公訴時効の完成により不起訴処分をされて刑事訴追を免れるに至り、これにより告訴人に相当因果の関係にある損害が発生した場合には、公権力の行使に当る当該警察官がその職務を行うについて、故意又は過失によつて違法に他人に損害を加えたものとして、その警察官の属する公共団体は告訴人に対し損害賠償の責に任ずべき場合(国家賠償法第一条参照)があり得るものというべきである。

そうとすれば、本件においては、控訴人の本訴請求の当否を判断する前提として、叙上の事実関係の解明につき審理判断を要するものといわなければならない。

しかるに、原審は、これらの点につき何ら審理判断することなく、直ちに、控訴人の本訴請求を主張自体失当として棄却したものであるから、原判決は不当であり、この点についての控訴人の論旨は理由がある。

四以上の次第で、原判決は取消しを免れず、本件については原審においてなお弁論をなし審理を尽くさせる必要があると認め、これを原審裁判所(東京地方裁判所)に差し戻すこととする。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官後藤静思 裁判官奥平守男 裁判官尾方 滋)

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